東洋大学「知の旅の羅針盤」誕生の裏側 ～公式アプリのアジャイル開発。その成功要因とは ～

笠原氏　「アプリを使う側」に常に寄り添うのが私たちの基本的な考え方です。学生や教職員へのヒアリングは200名を超えました。とはいえプロジェクトの初期段階では、「何を作るのか？」のイメージまで完璧に共有できていたわけではありません。学内では何をしているのか分からないプロジェクトに見えただろうと思います。だからこそ、本プロジェクトに参画している東洋大学とアクセンチュアのメンバーが、組織の垣根や職位の上下に関係なく、フラットな関係であり続けたことは重要な要素でした。

三田　４カ月でリリースを達成できた最大の成功要因はチームビルディングにあったと言えます。優先度の低いテーマを議論できる時間的余裕は、本プロジェクトにはありません。最短距離で学生を救うアプリを作り上げるには、プロジェクト関係者全員のマインドセットが重要です。全メンバーが同じ方向を向く（目線合わせ）ために、私たちは5つのプリンシプルを策定しました。このプリンシプルは、現在でもミーティングの度に必ず読み合わせをしています。

アジャイル開発に対応するためのマインドセット（PJTプリンシプル）

笠原氏　開発期間は短いものの、夢や構想は巨大です。当然、期間内には実現不可能な要素もあります。「このアプリにおいて、本質的に必要な機能は何か。真に優先すべき事項は何か」を真剣に考え、「後日の実装でも問題ない」と判断した機能を削ぎ落とす決断の連続でした。その時のアクセンチュアの情報力と今後の課題に繋がる予測力、それからこのプロジェクトを成功させるという私たちに負けないくらいの熱意のおかげで、私たちは「この期間で実現可能なこと」にフォーカスできたと思います。

──プロジェクトを振り返って「難所」は何だったか。どのように乗り越えたのかをご紹介ください。

高橋　アプリ開発チームでは、東洋大学様の想像されている画面イメージや機能をしっかり具現化していくことが大きなチャレンジでした。「知の旅の羅針盤」というコンセプトに基づくこのアプリのキーコンテンツ「My Journey」の画面案を３パターンほど提示したときは会議の場がワアッと盛り上がり、「期待されたクオリティのアウトプットを出せた」「私たちは目線が合っている」と実感しました。

東洋大学 大迫氏　アプリのUI/UXを重視するうえで、アクセンチュアから複数のデザイン案をプレゼンいただいたことで、「自分たちが作ろうとしているアプリの姿」の解像度が一気に上がったように思います。デザイン案を見て、「そうか、自分たちの作りたいものは、こういうものなのだ」とピタッとはまった印象を受けました。

東洋大学 石川氏　アクセンチュアは、いつも期待以上のアウトプットを提示してくれました。ミーティングの場では、我々が好き勝手な意見を述べているように私には思えたときもありましたが、最短で2営業日後の次のミーティングでは見事な提案資料にまとまっている。私は毎回驚かされました。構造化された資料を見ることで私たちも考えが整理されましたし、目の前の作業への集中力も高まりました。

クリエイティブの品質はもちろん、プロジェクトの進め方についてもアクセンチュアとの協働から多くのことを学びました。プリンシプルにもある通り、「学生のため」という意識は関係者間でしっかり共有できていました。ただ単に「アプリをつくる」だけではなく、アクセンチュアのエンジニアは学生本位のコンセプトに、本心から共感していることがすぐに理解できました。

三田　一般的なコンシューマー向けアプリ開発では、ペルソナを設定しつつも、想像で補う領域が多々あります。しかし本プロジェクトでは目の前にいる学生さんが対象です。リアリティを持って作業できたことも成功要因でしょう。

高橋　通常は1〜2カ月ほど掛けて行うコンセプト作成やデザイン作業を1〜2週間で行う必要がありました。手戻りが発生しないよう、確実な進め方を求められましたが、決定したデザイン案に関係者が愛着を持って進められたのは大きなポイントだと思います。

石川氏　アクセンチュアから「この議題について話し合えるのは今日だけです」と区切っていただけたことで、「今日この場しかないならば、意見は全て出し切ろう」というマインドが東洋大学側にも醸成されました。遠慮せずに言いたいことは全て言う。東洋大学側メンバーにとっても疲労困憊するミーティングでしたが、慣れるにつれて考え方がアジャイルになり、「まずはやってみよう」という思考になりました。

高橋　東洋大学様の幅広い部署の方々にご参加いただけたおかげです。開発メンバーが先走ることなく、360度のフィードバックを頂戴し続けられました。フェーズが進んでいくと、過去に議論して結論が出た内容であっても「変更すべき点」が見つかることはあります。その場合でも決定済みかどうかに固執せず、ベストプラクティスを検討し直しました。石川さんがおっしゃる通り、全員が意見を出し切り、責任をもって意思決定していましたし、開発メンバーの側でも柔軟に対応できる実装を意識していましたので過去の議論は常に有益であり、手戻りにも当たりません。本当に必要なことのみを取り込みながら機能をブラッシュアップしていく、アジャイルならではの柔軟な対応ができたと思っています。

また、このプロジェクトを通じて私たちは、Z世代（1990年代後半〜2010年代前半生まれ）である現役学生さんのスマホの使い方や価値観、考え方をたくさん吸収できました。

笠原氏　非同期型のチャットを使用したことで、ミーティングに同席できなくても発言できた点は効果的でした。

三田　技術やインフラ面で特に難所だったのは、認証基盤とのシステム間連携ですね。シングル・サインオンはアプリの使い勝手に影響する部分ですので、エンジニアが膝を詰めて解決に取り組みました。

高橋　大学の情報システムでは、授業に関するデータベースの取り扱いがプロジェクト進行上の肝になりますね。想定したデータの科目名や科目コードと異なっているケースを想定して、早めに実データに触れることがトラブル回避になると思います。

笠原氏　おっしゃる通りです。学務システムには、その大学の個性やユニークさが現れます。しかし、システムは複雑化しがちです。システム横断的なアプリの開発を機会とみて、棚下ろしするのが有効だと感じます。

石川氏　今回は複数のテストケースを用意したほか、UAT（ユーザー受け入れテスト）では本学の学生にも参加してもらいました。短期間でもテスト環境とテストフェーズをきちんと用意したことが成功要因でした。

大迫氏　テストフェーズで実際に学生にインストールしてもらったところ、「私の取っていない授業が表示されています」と指摘され、重大な問題回避につながりました。フィードバックと修正のループをきちんと持つことは重要でしょう。

アクセンチュア 宮川　アクセンチュアはデータ分析（アナリティクス）の専門組織を持っているなど、データ活用においては先進企業であると自負しています。そして東洋大学様は、「自学のデータを自らの手で分析したい」というマインドをお持ちです。高度なプログラミング技術を持たなくてもデータ分析ツールを開発できる環境づくりを今まさにお手伝いしています。

矢野氏　大学全体のDXの中で、データ活用は1つの重要なテーマです。私は現在、高等教育支援室の役割を生かし、学生の学習やキャンパスライフを通じた体験をどのように質を高めていくか、さまざまな部署との関わりあいのなかで、情報提供支援に注力できています。

笠原氏　クラウドの選定でGoogle Cloudを選んだのは、東洋大学がすでにGoogleのオフィスソリューションを学生・教職員ともに利用していて、既存の資産と親和性が高いことも決め手でした。

アプリのリリースはスタート地点です。プロジェクトとしては1つのマイルストーンを通過したに過ぎません。学内のデータ分析チームが取り組みを進め、学生に新たな価値を提供できてこそ本当の成功と言えます。さらにいえば、卒業までの一貫性ある教育情報の提供も、学生が卒業し、社会で活躍したときに初めて「目的が達成された」といえます。とはいえ、キャンパスですれ違う学生が公式アプリを使っている様子を見ると嬉しくなるのも事実です。教職員に新しい刺激を与えられていることも間違いありません。

宮川　データ分析環境の活用は今後継続していくテーマです。環境構築のしやすさ、開発ツールのラインナップ、BigQueryや機械学習APIの充実、AI導入を見据えた対応力の高さなど、東洋大学様はGoogle Cloudの強みを活用したいという高い意識をお持ちです。

笠原氏　ちなみに、東洋大学にとって全学規模でのクラウド導入は初めてのケースです。4カ月という期間を考えると、オンプレミスの機材調達・環境構築は不可能でした。今回のクラウド導入は、学内ITインフラの世代交換の観点でも意義あるものだったと感じます。

ソリューションアーキテクチャ全体概要

──東洋大学公式アプリは今後、どのように発展・成長していくのでしょうか。それぞれのお立場で展望をお聞かせください。

大迫氏　改善要望は学生から直接届き続けています。「もっとこうだったらいいな」を伝えてもらい、大学側も「それ、いいね」と思えば実装する。こうしたサイクルの強化のための学内広報を強化しています。

石川氏　大学のDXは、学内組織の壁やデジタルスキルの差によって、一朝一夕では進みません。しかし全教職員が学生のために働いている点で共通しています。今回のプリンシプルは、学生本位の大切さを私たちに思い出させてくれました。この本質からブレないことが、大学改革の正道だろうと思います。

高橋　ユーザーである学生さんたちはデジタルネイティブです。アプリを開発・提供する側よりも、ずっとデジタルツールに親しんでいます。教育とDXは親和性の高い取り組みです。私たちも前例や習慣に捕われることなく、学生さんから最新のデジタルの使い方や情報、アイデアを学ばせていただきながらチャレンジし続けたいと思います。

矢野氏　データはいわば、学生たちの成長の足跡です。デジタル接点が増えたことで、学生たちのリアルなデータを元に、新たな変化を生み出せると期待しています。

宮川　東洋大学様のアプリ内データは蓄積が始まったばかりです。私たちは引き続き伴走しながら、改善サイクルを回し続けるお手伝いをしていきたいと願っています。さらには私たちのチームの得た知見が、日本各地の大学の変革に貢献できたら幸いです。

三田　アプリ開発はプロジェクトごとに様々ですが、アジャイルの場合は特に難所も課題も大きく変化します。だからこそステークホルダー全員が一体となることや、メンバー同士の協働が今まで以上に重要です。私たちもそうした情報を積極的にシェアしていきたいと考えています。この事例がコラボレーティブな働き方の参考になれば幸いです。

笠原氏　東洋大学公式アプリは、大学と学生が一緒に育てていくアプリとして、リリース後も改良や開発を継続しています。このアプリを「自ら進んで使いたくなるような魅力的なアプリ」にしていきたいですし、アプリに憧れて東洋大学を志望する人が増えるくらいに磨き上げたいと考えています。もちろん、学生から手厳しい意見を聞くこともあります。私たちにとってそれは、アップデートのための貴重な財産です。学生の声は全て正解、かつ力のあるフィードバックです。真摯に耳を傾けられるよう、窓口を常に開放しておくのが大学アプリのあるべき姿だと思います。

昨今の日本の風潮は、デジタル技術を自動化による効率化や利便性向上のツールと捉える向きが強いように感じます。大切なことは、デジタルを新たな接点として利用し、学生との生のふれあいを増やすことではないでしょうか。本学の教育DXでは、学生本位を忘れることなく、学生のリアルな声を定期的かつ意識的に取り込む活動として継続していきたいと思います。

──ありがとうございました。