冒頭に製造業におけるデジタルツインのユースケース例をご紹介した。都市のデジタルツインでは、どのようなユースケースが考えられるだろうか。
例えば、台風や大雨などの災害時には、河川水位・治水設備の稼働状況、孤立地帯、避難施設の収容状況などのモニタリングが考えられる。こうしたデータを踏まえて、堤防の決壊リスクの分析や決壊時の人的・社会的被害のシミュレーション、避難施設や災害時物資の過不足の分析などが行える。また、これらのモニタリング、分析・シミュレーションの結果をもとに、治水設備の自動制御、避難の呼びかけ、避難ルート・移動手段の確保、災害時物資の確保・輸送など、オンライン/オフラインの手段を通じて、リアル空間へのフィードバックまで実現しうる。
先の道路管制センターの場合であれば、デジタルツインを利用することで、オリンピック・パラリンピックなどの大規模イベントや道路工事に伴う交通規制などにおける交通需要の変化の影響を予め、精緻にかつ目に目得る形で表現し、対策を練り、演習に活用することができるようになるかもしれない。同時に個人に対しては、代替ルートの提案などがデジタルツインにより、実際の状況を踏まえた形で実現することができる。道路で事故が発生した場合には、その事故情報をもとに周囲のインフラや交通・人流などのデータをインプットに懸念される影響・リスクをシミュレーションして、より適切な情報発信や処置ができるようになるかもしれない。また、将来的には事故発生時にも緊急車両が到着するよりも先に、サイバー空間からのフィードバックをもとに自動でドローンや小型ロボットが現地に急行して、処置にあたるといったユースケースも考えられる。
こうした行政サービスにおけるデジタルツインの活用は、市民の生活の質向上に直結するだけではない。データによる意思決定がなされることは、行政機関において必要性が叫ばれているEBPM(Evidence based Policy Making: 証拠に基づく政策立案)の動きとも符合する。また、行政の意思決定、執行プロセスが自動化・簡素化することで、行政機関の生産性改善も期待される。
加えて、都市のデジタルツインが民間にも開放されれば、民間企業のビジネスの生産性改善や研究開発の推進においても、大きな価値がもたらされる可能性がある。
例えば、シンガポール政府による「バーチャルシンガポール」では、構築した基盤を通じて太陽光パネル設置時の発電量のシミュレーションなどが民間企業により利用されることを想定している。これにより、太陽光パネル設置による投資対効果の事前検証が行えたり、より発電量が大きいと予想される建設物・敷地のオーナーに営業を集中させたりすることが実現し、企業の生産性向上が期待される。
また、都市のデジタルツインといった形でこれまで表現されていなかったものの、サイバー空間が研究開発目的で利用されている例として、3D地図や仮想の道路上での自動運転の走行実験があげられる。米アルファベット傘下で自動運転車両の開発を行うWaymoの場合、公道での走行試験や都市を模した大規模な専有地での実証実験に加えて、バーチャル空間上での走行テストを開始している。報道によれば、同社の公道での実験走行が1,600万kmに及ぶ 一方で、バーチャル空間上での自動運転車の走行試験距離は100億kmにも達する8とされている。このように自動運転の研究開発にバーチャル空間を活用する動きは、BMW、トヨタなどのOEMメーカー、Amazonなどのテクノロジー企業にも広がっている9。
もちろん、民間企業だけでなく、NPOや大学、個人などの社会の幅広いステークホルダーにおいても、様々なユースケースが考えられる。
こうした大きな潜在的価値を持つ都市のデジタルツインの構築は、これから本格的に国や自治体、企業によって進展することが期待される。
こうした世界観の実現する上で、行政機関の果たす役割は極めて重要である。
都市のデジタルツインはある程度の規模のエリアが面的に包含される形で構築することが求められるが、そのためには道路・公園などの公共空間の利用や、プライバシーの配慮などが重要になるからだ。加えて、民間企業がデジタルツインを整備する場合、競合する企業同士がそれぞれ同じ対象空間のデジタルツインを整備することになりかねない。これでは投資としても非効率なものになってしまう。
一方で全てのデータやシステム、仕組みを行政機関が整備する必要もない。民間が既に収集・構築している、または整備の知見・技術がある要素については、民間の主体ともうまく協業しながら、整備を進めていくことが有効になる。
これらの点を踏まえ、都市のデジタルツイン実装に向けて、まず行政機関に求められるのは、行政機関自体におけるユースケースを深堀するとともに、旗振り役として方向性の提示、民間プレイヤーの巻き込みを図ることだろう。